prologue

思いのすべてについて - 心の思いを神に注ぎ出す

プロローグ

七年にわたる乳がんとの闘いを終えて主のもとに召された母ナンシーは、謙遜と愛をもって一心に主に仕えた“真のクリスチャン”の真の証し人でした。主の御心でめぐりあった人々にはその人の人生が肯定的に変るように努めたのです。母のメモリアルサービスには250人以上の人が集まりました。母は数多くの人々を励まし肯定的に影響を与え、試練のときも信仰を保ち生涯を完走したのです。

母が最後に神から受け取ったメッセージの一つが、“書き留めなさい”でした。神からの召しと目的が何であるか理解することができなくても、神に仕える心でそれを受け入れたのです。しかし病気が肉体を蝕んで行くごとに母の集中力は欠如し挫折感に脅かされるようになりました。衰弱する肉体が神の仕事を完成する妨げになっていることに落胆したのです。

母が召されたひと月後、私は母に与えられた神からの仕事は完成していない、と示されたのです。多くの出来事と母を愛するクリスチャンの友人から送られた手紙から、自分自身もまた神から召し出された者である事実をはっきりと示されたのです。放蕩息子は母の人生に組み込まれた神の目的であり欠かすことのできない神の計画でした。確信に満たされた私は、母のデスクとコンピューターに載せられた情報と書籍から、放蕩息子と放蕩息子を持つクリスチャンの母の生涯に影響を及ぼした神の目的が満載されているのを発見したのです。書き留めたい願望から長年にわたり豊富な資料を集めた母にただ目を見張るばかりでした。数多くの手紙、日記、証し、エッセイ、教会での説教、聖書勉強のメモ等で、それらは意義と、洞察力と、暖かい心のこもった素晴らしい資料でした。クリスチャンとして、結婚関係、人との関係、試練、勝利、そして人生の目的のトピックもありました。母は母としての責任を探求し神に反抗した息子を愛し、神に助けを呼び求めたのです。

週末に私は泣きながら母の収集物を読みました。神の忍耐と寛容に守られた放蕩息子であった私は神の御前に遜って祈り、その事実を受け入れたのです。現在イエスと私の個人的で親密な関係が存在するのは、私を愛する母の究極的希望と熱心な祈りがあったことを認識しています。

週末全てを読み終えた後、劇的にも神は私の人生に人々と状況を備えられ、新しい御自分の目的のために私を召し出してくださいました。他の人々に分かち合った整頓された母の文書は帰ってきた“放蕩息子”の成就でした。

放蕩息子に関しての神の計画は明確です、しかしその課題は不可狽フように見えます! なぜならこのタイプの文書とその情報共有は全く私の領域ではないからです。しかしながら、人生が変えられた出来事の後、私は神の言葉の全てを簡潔で明瞭に理解し受け入れることができたのです。

イエスは彼らをじっと見て言われた。
“それは人にはできないことです。
しかし、神はどんなことでもできます。W

(マタイ 19:26)

この目的は神御自身のものなので、私自身の力で推し進めてはいけないと神は示してくださいました。私の重荷は即座に降ろされ、私の心は即座に和らいだのです。私のタイミングではなく神の時なのです! 私の計画ではなく神の栄光を現す目的なのです! 母の文書を通して神が前もって準備された彼女の放蕩息子の目的を明確にするために、私は神のメッセージを届ける管の役目を引き受けました。

ランデル・ニール(Randall Niles)

さあ、続けて読みましょう!

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